甲子園の砂って誰が最初に持ち帰ったのだろうか?
甲子園の砂は
いつから持ち帰り始めたのだろうか?
8月になると
テレビで盛り上がるものと言えば
甲子園
になりますね。
甲子園も夏の風物詩
といってもいい行事であり、
選手たちの活躍には
手に汗握らされます。
そして甲子園での場面と言えば
敗れた高校の選手が
砂を持ち帰るシーン
がとても有名となります。
ですが、
甲子園の砂は
いつから持ち帰るようになったのでしょうか?
なので今回は
甲子園の砂を持ち帰るようになったのは
いつからなのか?
についてまとめてみました。
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甲子園の砂を最初に持ち帰ったのは?
甲子園の砂を最初に持ち帰った選手には
いくつか通説が存在しており、
以下の3人の選手が
甲子園の砂を持ち帰ったことから始まった
と言われているのです。
甲子園の砂を持ち帰った選手1.川上哲治説
川上哲治氏は甲子園出場時、
熊本県立工業学校に在籍しており、
後に読売ジャイアンツにて
選手や監督、コーチとして活躍してます。
1937年の第23回甲子園にて
川上哲治氏が在籍している
熊本県立工業学校は決勝で敗れました。
そして試合終了後川上哲治氏は
甲子園の砂をユニフォームのポケットに入れて
持ち帰って自校のグラウンドにまいた
という話になります。
ちなみに川上哲治氏の説が
一番古いとされる
甲子園の砂を持ち帰り起源になります。
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甲子園の砂を持ち帰った選手2.佐々木迪夫説
佐々木迪夫氏は
東京高等師範附属中
(現・筑波大学附属中学校・高等学校)の監督です。
1946年の第28回甲子園にて
東京高等師範附属中は準決勝で敗れました。
そして佐々木迪氏は
最上級生(3年生)以外の選手達に
「来年もまた返しに来る!」
という意味を込めて
各ポジションにある砂を
選手の手拭いで包んで持ち帰らせました。
ただ、
第28回の甲子園は
甲子園球場が米軍接収中だったので
阪急西宮球場で行われていました。
なので、
この時の甲子園の砂は
阪急西宮球場のものだったのです。
甲子園の砂を持ち帰った選手3.福島一雄説
福島一雄氏は甲子園出場時
福岡県立小倉北高等学校に在籍してました。
福嶋一雄氏は準々決勝にて敗れた後に
無意識のうちに足元の砂を摘んで
ズボンの後ろポケットに入れ甲子園を去りました。
そして甲子園の砂を持ち帰る場面をみた
大会副審判長の長浜俊三氏は
「この甲子園で学んだものは、
学校教育では学べないものだ。
君のポケットに入ったその土には、
それがすべて詰まっている。
それを糧に、
これからの人生を正しく大事に生きてほしい」
という言葉を残しました。
そしてそのあと福嶋一雄氏は
玄関に置いてある植木鉢に
甲子園の砂を入れたのでした。
甲子園の砂を持って帰った説はどれが有力なのか?
甲子園の砂を持ち帰った説は
3つも存在していますが、
阪神甲子園球場の公式サイトにて
川上哲治氏がはじめて
甲子園の砂を持ち帰った
と書かれています。
なので、
公式で確認されてるものとしては
1937年に川上哲治氏が持ち帰った
というのが有力視されています。
ですが、
川上哲治氏本人は
「先にやってる選手がいた」
と発言をしていますので、
もしかしたらずっと前から
甲子園の砂を持ち帰る伝統があったのかもしれないです。
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