せいくらべの歌詞にはどんな意味があるのだろう?
せいくらべの歌詞には
どんな意味が存在しているのか?
5月5日はこどもの日で、
関係した歌といえば
こいのぼりが有名ですがほかにも
せいくらべ
と呼ばれる歌も有名です。
(歌詞はこちら→背くらべ)
そんなせいくらべの歌詞を聞いてると
少々意味として疑問に思う部分が
出てくるかと思います。
ですので今回、
せいくらべの歌詞の意味
についてまとめてみました。
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せいくらべの歌詞の意味はこちら
せいくらべの最初の歌詞に
「柱のきずは おととしの~」
といった感じで、
一昨年の5月5日に
背をはかるために柱の傷をつけた
ことを表す歌詞が入ります。
ですが、
なぜせいくらべをする際に
昨年ではなく一昨年の柱の傷なのか?
という点につきましては、
せいくらべの歌詞をかいた
海野 厚さん
は七人兄弟の長男で、
末っ子になる弟とは17歳も年が離れてました。
そして、
せいくらべの歌詞は
そんな17歳も年の離れた弟の視点で書かれてます。
さらに言えば海野さんは
早稲田大学に入学するために
地元静岡を離れて東京に行っており、
1919年を最後に地元の静岡には帰ってない
ということです。
このことを考えると、
海野さんはせいくらべの歌詞から考えると
昨年のときには東京にいた
と考えられますし、
一昨年のときに東京へ上京した
とも考えられるわけです。
なので、
しばらく海野さんは
故郷である静岡に帰ることができず、
「一番下の弟は今どうなってるのか?
大きくなっているだろうか?」
という思いを込めて、
一昨年のこどもの日に
背をはかってあげた末の弟の視点になって
せいくらべ
という歌詞を書いたのでしょう。
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せいくらべの歌詞の意味はここの場合は?
せいくらべの歌詞といえば
「やっと羽織の 紐のたけ」
の意味についても疑問視されています。
羽織の紐
というのがどう解釈するか
で意味が異なってきており、
意味合いとしては
1.兄(海野さん)の着た羽織の紐を結んだ位置くらいまで伸びた
2.羽織の紐の長さと同じくらいまで伸びた
といった解釈がされています。
私としては先ほど
せいくらべの歌詞は
故郷へ帰ることができてない海野さんが
地元静岡に住んでる末の弟がどうなってるか?
を思って弟視点になって書いたと解説してます。
なので、
弟とは上京してから2年くらい会ってないけど
背は自分が着た羽織の紐の丈くらいにまで伸びてるかな?
といった感じで
弟が2年の間でどれくらい背が伸びたのかを
予想しているものだと思われます。
ですので、
せいくらべの歌詞の「羽織の紐」というのは
1.兄(海野さん)の着た羽織の紐を結んだ位置くらいまで伸びた
であると解釈します。
せいくらべの歌詞の意味まとめ
せいくらべの歌詞の意味については以上です。
こうしてせいくらべの歌詞を見ると、
故郷に残した弟を
思っての歌になってるんだなと思います。
ちなみに、
こどもの日に関連した歌は下記の
等も存在しています。
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